コンテスト本番まで早くも残り13日。
13日です。
気づいたらあっちゅーまなんだろうなぁ、、
最近、他大の文化祭のミスミスターの最終舞台を見に行く機会がよくあり、
それを見るたび、
「お前は今日が最終日だったら彼ら彼女らみたいに泣けるほど悔いはないのか」
と、自問して、心の中の自分は
「いや、泣けないな」と。
何かが足りない感覚です、でも自分で何をしたらいいのかよく分からない。
あと13日。焦る自分がいます、残り日数に対してと何もできていない自分に対して。
手探りの毎日ですが、あと13日間お付き合い・ご投票いただければ幸いです。
さて、前置きが長く頭でっかちになってしまいましたが。
今日は僕が大学3年の夏に訪れた東ティモールという国について。
僕が感じたもの、考えたもの、見たものを
そもそも場所をしらない人もいるかと思います。
ここです。以前まではインドネシアの一部だったのですが、2005年に独立しました。
地域で言えば、アジアにあたり、オーストラリアの少し北のところです。
僕が東ティモールに行こうとした理由はいくつかあって。
①コーヒー生産者と生活したかった
②国名を聞いてイメージが湧かなかった
から、です。
①は、自分はいつかはカフェを開きたいと思っているのに、
その作り手の方の暮らしぶりや考えなどに触れないのは無責任だと感じたため、
7月にチケットを取り、8月に旅立ちました。
これは、7月までに参加していた松下村塾というプログラムの中で
俳優、企業家の伊勢谷さん始め様々な方から刺激を受けたのも大きいです。
数ある生産地の中でもなぜ東ティモールかといえば、
日本のNPO団体が現地にいたため農村までアクセスできると思ったからです。
通常、コーヒー農園は標高1000m以上に位置しています。
せっかく一念発起して生産国に到着したはいいけど、村までたどり着けなかったら意味がない、と思いました。
また、②についていえば、ぼくはこれはある種、旅行の醍醐味だと考えていて。
旅行って自分の期待を上回るようなものを経験するからこそ
そこに楽しさや価値があると思っていて
グアムとかハワイとか、正直なところ
大体イメージ湧きますよね、
じゃあ
「東ティモール」と聞いて
どうでしょう? 景色が思い浮かびますか?
僕は浮かばなかったです、だからこそ自分の目で見に行きたかった
そんな理由で行きました。
現地では、到着日と現地の出発日を首都のディリで過ごし、
残りの数週間は農村で暮らしました。
首都では家計のため、お母さんが作ったバナナチップスを売る子供がいたり
靴も履かず、隣町からやってきたそうです。
一ついただきましたが、とてもおいしかった、!
この国の子供たちの目は澄んでいてキラキラしていました。
すくすく育って欲しい、!
食事はこんな感じ。いかにもアジアな。
市場はこんな感じ。
市場で現地のお母さんが編んでくれたブレスレットは今でも
大切につけています。黒いやつです
首都は、一般的な「首都」から抱くイメージとは程遠く、
信号や車線もなく整備されていない状態でした。
険しい山道の中、車を走らせ
今回滞在するマウベシ群のルスラウへ。
標高1500m以上あったかな、
村の子供たち。
村には電気もガスも水もなく、
全て自給自足。
日が沈むとおやすみタイム。朝は鶏の爆音こけこっこーで目を覚まし
身体は川にはいって素洗い。
自分の家で採れた野菜を手に、30分離れた家に行きそこが作るパンと
物物交換。
お金、を介さず、物と物で取引をするという昔ながらの商行為に、
なんだか温もりを感じました。
野菜にもパンにも、それぞれ作る人の想いが込められているからなのかな
と、思います。お金は取引を簡略化する代替物に過ぎない。
村の子供たちとは折り紙をしたり、けん玉をしたり。
日本から持ってきた玩具で遊んだりしていました。
とても印象的だったのが、村が歓迎の印として
ついさっきまで生きていて、飼っていた子豚を屠殺して
振舞ってくれたこと。
子豚は家の裏から縄に引きづられて連れてこられ、
察していたのか、断末魔のような鳴き声は出しながらずっと抵抗していました。
村長が苦しませないように、急所を一刺し。
流れてくる血も皿で受け止め、これも肉と一緒に煮込んで調理しました。
家の裏で日を起こし、毛や皮、蹄など、食べられない部分だけを取り除き、
それ以外は一つも余すことなく、部位ごとに手際よくさばいていました。
夜、たくさんの豚料理が振る舞われた時、始めの方は
その料理を見ることすらできませんでした。
さっきまで元気に生きていた生き物がいま、調理されてこうして料理として
並んでいることに違和感しかなかったのです。
ですが、自分が屠殺からさばいている過程を見届けたのも
村の歓迎の気持ちをしかと受け止めるためですし、
子豚の命を本当の意味で「いただく」ためです。
心の底から「いただきます」と呟き、
残さず食べました。
今まで自分が数え切れないくらい発していた「いただきます」が
束になっても敵わないくらいの「いただきます」でした。
日本にいると、豚肉も魚の肉も加工された状態でスーパーに並んでいますよね。
その肉たちがかつては動いていた生き物だと想像するのは難しい。
本当に貴重な経験ができたな、と思います。
あの時発した「いただきます」の感覚を鈍らせないようにしたいです。
。。。と、ここまで読んでみてわかる通り、
正直のところ、コーヒー以外の部分の思い出がかなり多いです
いかんいかん、本題本題。
ご存知でしょうか、コーヒーは「果物」であるということを。
コーヒーチェリーと呼ばれる、熟したら真っ赤になる果物です。
このフルーツの種の部分。それを焼いて、黒茶色になったのを
細かく粉にして、そこにお湯を通したもの。
それが普段私たちが飲む’コーヒーという飲料です。
なので、コーヒーチェリーは食べられます。酸っぱかったです。
今回は、手摘みでの収穫、加工(果肉や果皮を除去)、工場加工(薄い皮や異物を除去など)までを体験、間近で見ることができました。
何気なく飲んでいるコーヒーができるまでに、
これほど多くの工程があり、様々な人が関わっているのだなと気づくことができました。
普段、スターバックスでも働いているので、消費者でもあり、提供者でもある自分にできることを考えながら、彼らの想いを還元できるように
行動していきたいです。
夜は、村の生産者が村長の家に集まり
議論の時間。
近年、このルスラウ村では、若者のコーヒー離れが深刻化しています。
首都から伝えられる情報につられて、より高収入の仕事を求め
村を去っていく若者が後を絶たないそうです。
村長のアルフレッドさんは、
「私も私の父もその前も、ずっとコーヒーに育てられ生かされてきた。先祖代々引き継がれてきたこの産業を、次の世代にも繋げていかないといけない」
と言っていました。力強く、真っ直ぐな目でこう語っていました。
確かにコーヒー生産は儲かりません。気候や市場の影響ももろに受け、安定しません。
生産国間での競争も激しいです。味の良い豆を高値で買い取られそこに人気が殺到し、それ以外は淘汰されていきます。
彼らも必死なのです。それに答える消費行動をする責務があるんじゃないかと、思います。少なくとも僕は。
終わりに入ります。
この旅で一番考えたことは
<「豊かさ」ってなんだろう?>
という大きな大きな問いです。
日本に住んでいるとそりゃあ便利です。暑かったらクーラー、寒かったら暖房。
コンビニに行けば大抵のものは手に入ります。巨大な高層ビルには僕らの欲求を満たす商業施設が並び、食べたいもの、着たいものを自由に選択することができます。
地下鉄が張り巡らされ、移動も便利です。インターネットが発達し、実際に訪れなくても、会っていなくてもSNSで情報を入手できます。
これを「豊か」と呼ぶなら東ティモールはそうではないのか。
僕は現地で過ごしてみて、向こうの生活に「豊かさ」を感じました。
とても幸せな気分で暮らすことができました。
一つの家庭では生活するのが難しいから、村で助け合って生きていく。
村全体が家族のように暖かく接していて、支え合い繋がりながら
生活を送っていく。日々、思いやりや感謝の気持を感じながら
周りに人工的な構造物はなく、緑豊かな自然に囲まれていて
とても気持ちが良かった。
自分は地球の自然の循環の中に身を置く、動物に過ぎないんだなと本気で感じました。
もちろん、これら物質的な豊かさと精神的な豊かさ、両者のバランスが大事だと思います。
みなさんはどうでしょうか、何に「豊かさ」を感じるでしょうか。
それを考えるきっかけとなれたなら、本当に嬉しく思います。