棉裡蔵針

2016年11月17日

 

今日はぼくが普段大事にしてることなどを赤裸々に書くブログにしようとおもいます。

少しでも自分の内面を知って頂ければと。


ぼくは

たまに周りの人から

何枚もベールを張ってるみたいだね

と言われることがあります。

自分の本性は本当に気の置けない仲の人にだけ

微妙な距離の友人には当たり障りのない態度をとる。

そういった具合です。

昔はそんなことありませんでした、

小学生、マレーシアにいた頃は

教室の後ろから授業中に大声を出したり

態度も横柄で何でも誰に対してでも仕切りたがる。

感情のままに動き発言する、そんなわがままな子供でした。

しかし、転機がありました。

思春期を経て少しは性格も落ち着いたかと思われていた中学生の時。

シンガポールの日本人学校に通っていましたが、そこでも尚、図々しい面がありました

中学3年の時に、それが理由で周りに誰もいなくなった時期がありました。

恐らくこれを見てる中学の同級生は

「あのことか」と思ったかもしれません、もしくは全く忘れてしまった人もいるかもしれない。

けど僕にとってはその経験が自分の人生の中でとても大きく、

たぶん一生忘れない、

受験勉強に意固地になって取り組んでいた僕は、その性格やノリの悪さが相まって

(僕はあの時自分がはぶかれた原因はこれだと考えているけど、本当は違うのかもしれないし、もっと単純な「気に入らない」という理由だったのかもしれない)

気付いたら周りの人が僕と距離を置き陰で悪口を言うようになっていました。

今までずっと仲よかった人が、あんなに簡単に自分を傷付ける側に回るのかと

その時期は本当に周りを信じれなかった、ひたすらに受験勉強に打ち込むしかなかった。

ただただ辛かったです。塾から帰って部屋に篭って

なんでだなんでだ

って泣きながらベッドでうずくまってじたばたして、

泣き疲れたらこんなことしてる場合じゃないっ

て、机に向かいペンを握る。

それの繰り返しの日々でした。

たまに勘違いされることがあります。こういうキラキラしたコンテストに出て、しかもある程度名が知れた大学にいて

「人生安泰だね」

「エリート街道だ」

「辛かった経験とかないでしょ?」

はっきり言います、そんなの大間違いです。

辛かった経験をしたからこそ僕はいまこのステージにいると思っています。


中学3年のあの経験、

僕の性格もいま思えばとんでもなく偉そうで横柄だったし、そこから反省をして、自分の性格を修正しようとしてしまいました。(あえて、してしまいました、と表現します)

結果

高校では、冒頭でいったような

仲の良い人を除いて

他人と自分との間に何枚もバリアーを張ってしまうような

無個性な人になりました。

自分の主張は特にせず、

「これやったら嫌われるかな」

と、人から嫌われることばかり恐れて

ひたすら当たり障りのない言動に逃げていました。


そんな僕を

違う、と。そうじゃもったいない。

そう思わせてくれたのが、慶應志木高校での高校生活です。

受験勉強のないカリキュラム、自然の中でのびのび育つ生徒、生徒に負けないくらいユニークな先生方。

自分の学年には、アニメオタク、スポーツ万能、ひたすら体張ってボケる人

など

みんな自分の個性を前面にだしていて、そしてそれぞれのキャラクターを互いに認め合う素晴らしい文化がありました。そしていじりにもなんとなくの愛情が込められていました。

そんな高校生活がぼくに、

自分を押し殺してしまうのはもったいないことだな、と

気付かせてくれました。

大学では、自分の好奇心のままに動くことを大事にして

本当に多分野、様々な環境に飛び込み

貴重な経験をすることができました。


タイトルの漢字4文字。

これはぼくの座右の銘です。

「めんりぞうしん」

と、読みます。

綿の様に、周りに対しては柔らかく接し、しかし内側には折れない芯を持つ。

それがこの漢字には込められています。

自分の個性、芯を押し殺して折ってしまってはいけない。かといって、周りに横柄な態度ばかりとっていても魅力的な人にはなれない。

ぼくの人生経験が詰まった座右の銘です。


じゃあ

その折れない芯、とは。

〈多様性、個性を大事にすること〉

多宗教多文化の国で暮らしたり、多様性まったなしの志木高で過ごして

自分にはない他の人の魅力や個性を発見した時にすごい喜びがありました。

争い事の根本は、多様性を認められないという点に収斂すると、ぼくは考えています。

最低限、自分の周りだけはそんなことがないようにしたい、辛い思いをさせたくないと、本気でそう思っています。

僕がカフェが好きなのはそこに理由があるのかもしれないと最近になって思うようになりました。

老若男女様々な方が違う目的でカフェに訪れますが

その空間にはなんとなくそれぞれが尊重されるような平和で穏やかな空気が漂っている。

それがぼくがカフェを愛してやまない理由なのかなと思います。


終わりに入ります。

こういったミスコンに出ていると

前述したような、

周りに当たり障りのないような活動

が目立つと思います。

それは恐らく、嫌われずに票を集めたいという気持ちや、ほぼ外見のみで評価されてしまうから、敢えてこれといった内面を表に出す必要はないから、とか

色々あると思います。だけど、

誰にでもできるような発信を僕はしたくないし、つまらないなと思う。

それが当たり前となってしまっている

ミスコンの風習をガラッと変えたい。

自分が、前述したような「芯」を大切にしながらグランプリをとることによって、

外見だけじゃない、本質的な内面も

ちゃんと見てくれるミスコンにしたい。

グランプリをひっさげてそれを体現したい。

そんな強い想いがあります。

なので、お願いします。

残り3日間、自分だけでなく周りの人にも

「こんな人がいるんだよ」って

紹介してあげてください。

1票1票、一言一言の応援が

力になっています。

あまり語りたくない過去もここでは書かせて頂きました。暗い気持ちにさせてしまった人もいるかもしれない、けど

自分のすっぴんを見てもらうことが皆さんとの距離を縮めるのに必要だと、感じたので。

書こうと決心した次第です。

残り3日

少しでもいいなと、

応援したい、と思って頂けたなら

よければ投票をお願いします。

https://mrcolle.com/keio2016/vote

僕も誠心誠意

その想いに応えられるよう残りの日も駆け抜けてまいります。

ご精読ありがとうございました。

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